今日は独立記念日。
わたしにとっては、サロンを開業した特別な日でもあります。
このタイミングで、ふと「独立」という言葉について思いを巡らせてみました。
それは、誰にも頼らずに生きることではなく、
“自分の選択に責任を持つ”という決意のこと。
今まで、
わたしは何度も「なるようになる」「なんとかなる」と口にしてきました。
きっと、それは「流れに身を任せる」ことでもあり、
「自然のままに、良き方向へ導かれる」という信頼だったはず。
でも気づいたのです。
ときにこの言葉を、自分で決めない言い訳にしていたことに──
どこか曖昧な態度で、立ち止まっていた自分に。
わたしの名前は「nalu(ナル)」といいます。
この名前には、波のように自然体で人に寄り添い、
そして、人々の反応を引き起こしながら強く生きるという想いを込めてきました。
そしてもうひとつ、ふと思い出した言葉があります。
「なせばなる」──やらなければ、なにもはじまらない。
これはただの根性論ではなく、
「動いてこそ、流れはやってくる」
という生き方のスタンス。
実際に、わたしのヒューマンデザインのインカネーションクロスは、
「その場に行って、行動して初めてギフトが手に入る」
(HD的な解釈に、naluの経験値を基に↑だと理解しています)
という特徴があります。
つまり、ただ待っていても、目の前には何も起こらない。
脈流(流れ)に自分から入りにいくことで、
本来受け取るべきものがやってくる。
これは、何も“がんばる”という話ではなく、
「わたしの感覚に従って、一歩踏み出す」
ということなんですね!
だから今日という日に、改めて“独立”を宣言します。
誰かに決められた価値ではなく、
わたし自身が感じる価値に、しっかりと軸足を置いて生きていくこと。
それは「何者かになる」というよりも、
「わたしに還る」こと。
肩の力を抜いて、でもちゃんと目を開いて。
わたしが生きたい人生のために、
小さな行動を重ねながら、語りながら、
コイン(=経験・喜び・学び)を拾い集めていく──
そんな生き方をしていきたいと思っています。
あらためて、これが新しいわたしのテーマです。
(もうHPのトップは変わっていますがww)
「わたしになる」を選んだその日から
世界は
少しずつやさしく変わりはじめる
ここからはじまる、本当の“なる”へ
もし、今のあなたがどこかで迷っていたり、
“誰かの答え”に従いすぎて、自分がわからなくなっていたなら──
いちど、立ち止まって耳を澄ませてみてください。
きっと、あなたの中にも「本当の自分」が静かに語りかけてくるはず。
その声に従って動き出すとき、
あなたの世界はきっと、やさしさを取り戻しはじめるのです。
「自分らしく生きたい」
——この願いは、いま多くの人の心に静かに芽吹いている想いだろう
けれど、“自分らしさ”とは何かを問われたとき、私たちはときに迷い、揺らぎ、立ち止まる
それは、「見つければ終わるもの」ではなく、日々の選択や感情の中で、育ちつづけるもの
自分らしさとは 、“今の自分” に正直でいること
自分らしさを定義するのは、他人でもなく、
過去の理想でもない
“いま、何を感じているか”を尊重する感性が、自分らしさの土台なのだ
たとえ不器用でも、遠回りでも、変わりつづけてもいい
それこそが、自分のリズムを生きているという証
自分らしさは「ひとつの正解」じゃない
世の中の「こうあるべき」に振り回されてしまうと、
自分の輪郭がぼやけてしまう
でも大丈夫
比べるべきは、昨日のあなただけ
自分にやさしく、丁寧に寄り添うことが、
“自分らしさ”という道を照らしてくれる
自分らしさは「感覚の積み重ね」
・なんとなく心地よい
・なぜか惹かれる
・ほっとできる瞬間
その感覚の断片を、少しずつ集めていく
“好きなこと”がわからないなら、まずは
“ちょっと好き”を探してみよう!
違和感があれば、それは方向を示すサイン
そう、すべては、あなたの感性からはじまる
自分らしさは「変わっていい」
今日と昨日で、感じ方が変わってもいい
前は好きだったものに興味がなくなってもいい
自分らしさは、決して“固定されたキャラクター”ではなく、
移ろう季節のように、柔らかく変化していいもの
あなたがその変化に素直でいられることこそ、
いちばんの「自分を生きている」証といえるだろう
そして、自分らしとは “選び続ける力”
・他人の正しさより、自分の心地よさを選ぶ
・自分の小さな感情を否定せず、大切にする
・“何者か”にならなくても、自分を誇りに思える
それは、小さくて静かな選択の連続かもしれない
でもその積み重ねが、あなたという人生を、唯一無二の道にしていく
あなたにしか歩けない旅を
「自分らしさ」はゴールではなく、
今日という1日を、どれだけ自分に正直に過ごせたかという、旅の記録
そして旅には、寄り道も、立ち止まりも、方向転換もあっていい
そのすべてが、“あなたらしさ”を形づくる物語
あなたの足跡は、必ず誰かの灯りになる
だからどうか、あなたのペースで、“自分”という旅を楽しんで!!
自分らしく生きる。
それは誰にとっても切実な願いでありながら、
もっとも誤解されやすい言葉でもある。
現代は、情報と選択肢に溢れている。
生き方は無数に提示され、
自由の名のもとに比較と葛藤が生まれているのだ。
だが、選べる数が多いほど、人は迷う。
理想を掲げるほど、現実との距離に苦しむ。
人は本質的に複雑だ。
だからこそ、人生はときに絡まり、揺らぎ、簡単には整理できない。
けれど、この複雑さをどう生きるかを考えたとき、実はシンプルであることが求められる。
何を望み、何を望まないか。
何を感じ、何を感じないか。
どこへ向かいたくて、どこから離れたいのか。
それらを、自分の体と心で静かに確かめていく必要がある。
ここで手がかりとなるのが、季節である。
自然のリズムに沿うことは、自分のリズムを取り戻すことに等しい。
春は、目に見えない希望が揺れる。
言葉になる前の意志が、心の土壌を震わせる。
夏は、動きすぎる時。熱に流され、自己を見失いやすい。
秋は、収穫と手放しのタイミング。何が成熟し、何が枯れたのか。見極めが要る。
冬は、沈黙と再生。外へ出すのではなく、内側を耕す時間。ここでしか芽吹きは育たない。
自然に従うことは、自分を明け渡すことではない。
むしろ、自分を取り戻すための営みだ。
季節は、誰にも平等に訪れ、何かを教えてくれる。
自分らしく生きるとは、内なる季節に忠実であるということ。
だからこそ、人が複雑である以上、人生は意識してシンプルであるべきだ。
季節感とは、頭で理解するものではない。
身体で感じ、感性を通して受け取るものである。
その体感こそが、自分という軸を育てる訓練であり、
「生きる力」の原点となる。
あなたは、自分の感覚を信じているだろうか。
誰かに
何かを言われた時
何かをしていた時
その瞬間の体感覚をあなたは感じていますか?
私たち人は、感情と切り離すことができない生き物ではありますが
何か感情が触れた時、反応した時
そこに出てくるのは、体の反応です。
心(感情)と体は繋がっているため
何かやりたいと思っていても
体が反応していなければ行動は出来ないのです。
反対に体が反応していれば、心が「えーーー」と思っていても
行動がスムーズにいくことさえあります。
心とは複雑で、実は多くの場合、最初の感情を無視していたり
気づかないふりをしていたり、または、自己否定をして最初の直観めいたものに蓋をしてしまうことがたくさんあるということです。
世の中には、感情の揺さぶりによって決断を迫られたとき
本体の正しい答えを出すことが難しい人がいます。
頭で考えていると尚更のこと、正しい選択ができなくなるのは私たち人の性と言えましょう。
ですが、例えテンポが遅かったとしても、決断をする際、時間がかかったとしても、また、人より数段に日数がかかったとしても、何が大切かというと
あなたにとって自分の感覚を信じ切れるかどうかということです。
ふわっと心が軽くなるかどうか
ザワザワしていないだろうか
ワクワクと希望に満ちた感覚があるかどうか
悲観的て悲しみや苦味しか感じないとか・・・
その瞬間のあなたの体感を大切にするということは
あなた自身を大切にするということ、
それが、自分に優しい生き方をするということです。.
自分を愛し、丁寧に生きる
そうすることで他者をいたわり、
他者に対しても許すことができるようになるでしょう。
何も、誰も、あなたの人生に対して責任はとってはくれない
自分自身の人生を「丁寧に生きる」ということほど
自分自身の人生に責任を預けていることではないだろうか。
「答えは、あなたの中にある」
これは私がずーっといってきた言葉
それがあなたの体感覚に気づくということなのです。
無視せず、蓋をせず、
ちょっとしたことでも、その底にある感情に気づくことが大切なのです。
さあ、今からでも遅くはないのです。
あなたが今感じていることをそっと抱きしめてあげてください。
そこにあるものを感じ取ってあげてください~♡
陰極まれば陽に転じ
陽極まれば陰に転ず
陰と陽って
全く逆のことを言っているように見えますが、
実は、視点が違うというだけで
本当は同じことを言っているんだよね
この陰陽の視点は
反対のことや、正解を言っているのではないのだということ
だからさ、個性も一緒なんだよ
人の生き方や、性格に良いも悪いもないんだよね
ただ、
あなたが宇宙の一部だということを思い出すだけなのだと